
父の七回忌が迫ってきたが、今年65歳になる母親は、人寄せをするのが
億劫になってきたのか、いつもは、先に先にと仕事を進める人なのに、今回
は私任せである。
私は、30半ばで結婚をしたので、結婚してから始めての父の法要でもある。
幸いなことに、元気な女の子に恵まれた。間もなく1歳になる。名前を悠と
つけた。邪心のある大人にはこうは笑えないだろうと思う、こぼれるような
笑顔を見せる。母も、この笑顔が何より気に入っているようである。「悠は
自分の宝物だ」と、親しい友達に話をしているくらいだ。
仏間に連れて行っては、鐘や木魚を鳴らさせたりしている。私が「仏様に
失礼にならないの?」と聞くと、母は、嬉々としている悠の姿を見ながら
「なに、父さんも悠がこんなに成長したんだなと喜んでいるよ」と言う。実
は私も心の中で、母と同じことを思っていたのだ。
悠は、ハイハイが先に出来るようになってしまって、座っていられない質
らしかったが、法要近くになってやっと落ち着いて座っていられる様になっ
てきた。
落ち着いてきたついでに、何の拍子でか、正座までするようになった。私
と家内と母の三人で、悠の正座した姿を見て、妙に律儀で、かしこまった
ような姿には大笑いをした。
家内が「一緒になむなむをすると、真似をして、手を合わせてお参りする
かもしれないよ」と言い出し、仏壇の前に家内が悠を連れて行った。こんな
とき、母親というのは、子どもから絶対の信頼があるらしい。それこそ、見
様見真似で仏壇の前で覚束ない動きで手を合わせ、微笑んだ。
私は、その姿を見て、はっとした。子どもというのは、こういうふうにし
ながら、習慣というものを親から知らず知らずに教わっていくのだなと思っ
た。「三つ子の魂百まで」というが、「一つ子の魂・・・」なのであろう。
私の母は自分の孫が初めて仏壇に向かって亡き夫に手を合わせる姿を見て、
どんな思いであったろう。私は、母の横顔を見ながら、そんなことを思った。
さて、父の法要の準備は、私が主となってすすめている。それが自然であ
り、私も当然と思っている。
私は、来客のみなさんに、悠が亡き父に向けて合掌できるまで成長したこ
と、そして、父の命あってこそ、悠の命があることをこの機会に深く感じた
ことを、肩に力を入れずに挨拶したいと思っている。
トラックバック(0)
トラックバックを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではトラックバックは表示されません。

