響きあう詩

線香の匂い 前田 宏明 71歳 大阪府

響きあう詩

外出先から帰って玄関に入ると、かすかに線香の匂いがしていた。
 さして広くもないわが家では匂いの元が仏壇でしかないことは言わずと
知れたことである。そしてそれが身内の誰かの手によるものであることが
わかっているくせに、妻に問うていた。定年後の二人暮しの癖である。
「誰か、来ていたのか?・・・」

 近くに嫁いでいる娘か、隣町に住んでいる息子か、息子の嫁か、いずれか
が帰って来ていたのだろうと思った。娘や息子達は帰ってくると必ず仏壇に
線香を上げて手を合わせるからである。

 考えてみると、田舎の実家には大きくて立派な仏壇があったが、私自身若
かりし頃に、その前に座って手を合わせたことは、盆や法事以外にはあまり
記憶にない。

 独立して所帯を持ってからも、あまり広くない住宅団地で生活していた頃
のわが家に仏壇はなかった。その後、団地から今の一戸建ての家に転居した
のだが、田舎の両親が亡くなるまでは購入する必要性を感じなかった。わが
家に始めて仏壇を安置したのは、父が亡くなって数年後に母を失ったときで
あった。

 したがって、仏壇のなかった団地で育ち、転居後に結婚した娘や息子達に
は、仏壇の前で神妙に正座するといったようなことはなかったと言ってよい。
だからこそ、その後の娘や息子達に、妻はやかましく言っていたのだろう。
「家に帰ってきたときくらいは、仏壇に手を合わせなさいよ。ちゃんと座っ
て!」

 娘や息子達はもちろんのこと、娘婿や息子の嫁も妻の言う通りに線香を上
げて手を合わせていた。

 それは、祈りとか感謝の念からというよりは、家族としてのまじめな習慣、
約束事といったようなものとしか思えないでもなかった。そのため、私自身
はあまり仏壇の前に座ることはなかったが、娘や息子達夫婦にはそうさせる
ことが、親子・身内の確かな証になるように思えた。絆とは、そうしたこと
から生まれるのかもしれない。だが、私は、家族が素直に合掌している姿を
好ましく思いながらも、いつもそれを黙って傍観しているだけであった。

 ところが、ある日、妻が検査入院することになり、それまでの私の態度は
一変した。
「明日また来るから・・・・」

 妻に付き添っていた娘が病院から戻って、いつものように、線香を上げて
から帰ってしまうと、がらんとした家の中にはいつまでも線香の匂いだけが
漂っていた。

 その夜、テレビの前に座っても寝転んでも落ち着けず、結局線香の匂いに
誘われるように、ふだんは座ったこともない、仏壇の前にただ漠々として座
っている自分がいた。

 それに気付き、苦笑している自分がまた、可笑しかった。

コメントを投稿

コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。

名前:

メールアドレス:

この情報を登録しますか?

コメント:

トラックバック(0)

トラックバックを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではトラックバックは表示されません。

響きあう詩 募集中


お仏壇のはせがわトップページ > 線香の匂い 前田 宏明 71歳 大阪府