櫻井久明
江戸神仏指物師の父と木工芸の巨匠、無形文化財保持者竹内碧外先生
神代木彩八綾箱
昭和63年9月
日本工芸会奨励賞受賞
木工芸作家本橋玉斉先生に師事して三十余年、木工芸を愛しその木肌に魅せられひたすら造形の妙を追い続けております。
そこで多くの皆様方に愛される本格的な作品を世に送り出したいとする、株式会社はせがわの思いに感銘を受けて取り組むことになり、指孝仏具美術工芸工房にて制作をいたしました。
明瞭な簡素美を追求した仏壇美術工芸品として、日常お手元に備え頂け心のやすらぎになれば幸いと存じます。
この道ひとすじ
江戸神仏指物師三代目
櫻井久明(さくらい きゅうめい)
指孝仏具美術工芸工房の初代指孝は東京浅草千束にて創業 江戸神仏指物の本流を守り 仏壇・仏具を製作して百余年 先代の意思を受け継いで今日に至っています。
得心がいくまで
神代木彩箱
平成元年9月 文部大臣賞受賞
工芸で培われた感覚を生かした数寄屋建築の書院造り。
真行草の行の作りで、置物によって真にもなり草にも使えるように、久明がデザインと施工をしたものです。
科学が発達した今日質より量の経済優先となり利益第一主義、耐用年数無視見た目がよければそれで良しこんな風潮が感じられます。しかし21世紀はお客様のための視点での物作りでなければならないと考えます。またゴミ処理・資源の問題などを解決するには良い物を永く使う時と共に輝く本物でなければならないと思います。
使い捨てから使い込む文化、日本本来の文化に戻さねばならないと感じています。我々が使う刃物一つをとっても、昔は熱源に松炭と砂鉄を使いじっくり温度を上げ焼き上げていました。今日は溶鉱炉で高温・短時間で一気に焼き上げるため鈍らな(なまくらな)刃となり直ぐ刃が尽きて削っては研ぐを繰り返さなければ使えません。「得心がいくまで」というのはこれ以上研げないという事です。私は「得心がいくまで」本物志向の仏壇・仏具を作っています。それが何世代先の後世にまで残り得る作品になるからです。
今、好んで使用している素材、紫檀
紫檀の原産地(インド、ミャンマー、ラオス、カンボジア)また古代中国では紫檀には霊が宿りそのものが神木であり霊的力があると信じられています。 中国では皇帝の象徴「龍」、紫檀の別名を龍血樹と言い、その権力の象徴であり紫檀は一般庶民には使うことは許されなかったようです。 また日本でも正倉院の宝物には紫檀の名品が数多くあります。その意味で、御仏壇・お位牌の素材は霊樹である紫檀が 最適であると確信するものであります。
略歴
| 明治23年 | 祖父初代指孝 東京浅草千束にて創業 |
|---|---|
| 昭和41年 | 江戸神仏指物師の父である二代目指孝に師事 |
| 昭和48年 | 無形文化財保持者竹内碧外氏に師事 |
| 昭和54年4月 | 東海伝統工芸展初入選以来入選20回 |
| 昭和55年 | 竹内氏の友人木工芸作家本橋玉斉氏に師事 |
| 昭和56年 | 文化勲章受賞建築家村野藤吾氏の依頼により桑春日厨子を制作する |
| 昭和57年9月 | 第29回日本伝統工芸展初入選 以来入選17回 |
| 昭和60年 | 三代目指孝を継承する |
| 昭和61年 | 日本工芸会木竹部幹事となる |
| 昭和62年9月 | 日本工芸会正会員に認定される |
| 昭和63年9月 | 第35回日本伝統工芸展「神代木彩八稜箱」 日本工芸会奨励賞受賞 |
| 平成元年 | 東海伝統工芸展招待出品者となる 以来12回 |
| 第36回日本伝統工芸展 「神代木彩箱」文部大臣賞受賞「神代木彩箱」文化庁買い上げとなる |
|
| 平成2年4月 | 日本伝統工芸木竹展審査員となる |
| 平成2年5月 | 東海伝統工芸展審査員となる |
| 平成2年10月 | 県内美術の現況展Uに出品「静岡県立美術館」 |
| 平成4年4月 | 日本工芸会東海支部幹事となる |
| 平成4年10月 | 静岡県芸術祭美術展第7期展招待出品 |
| 平成8年8月 | 第43回日本伝統工芸展鑑査員となる |
| 平成11年9月 | NHK主催日本の工芸「今」100選展に出品 フランスパリ「エトワール美術館」 |



世界に誇る美しい日本の姿です。
日本の木芸界を代表する伝統工芸作家の櫻井久明氏。氏の作品には、作者の魂が、木の魂と一体となり凝集され、日本の美の象徴としての崇高さを漂わしています。日本の美術工芸品の頂点といえるお仏壇は、皆様のご家庭に真の潤いと豊かさ、品性に満ちた生活をもたらしてくれることを確信致します。「信は荘厳なり」(心は形によって影響を受けます。)美しいお仏壇によって、美しい心、美しいご家庭が築かれることをお祈りしています。
株式会社 はせがわ 代表取締役会長 長谷川 裕一